~最高裁令和6年7月11日判決~
<事案の概要>
世界平和統一家庭連合(以下では「旧統一教会」とします)の元信者である亡Aが、旧統一教会に対して長年にわたって行った献金が、旧統一教会を含む同教会の信者らの違法な勧誘によって行われたものであるなどとして、その返金を求めた事案です(Aは訴訟係属中に死亡し、長女が訴訟を受け継ぎました)。
亡Aは、旧統一教会に対し、平成17年から平成21年までの間、十数回にわたり、合計1億0058万円を献金したほか、平成20年から平成22年までの間には、信者の勧誘によって自己の所有する土地を合計約7268万円で売却して売得金の内480万円を献金し、さらにその余の売得金も旧統一教会に預託され、その中から、平成27年までの間に合計約2066万円を献金しました。
その後、旧統一教会のある信者が、亡Aが上記の献金の返金を求めることを懸念し、平成27年11月に、公証人の面前で、それまでに行った献金につき、旧統一教会に対し、欺罔、強迫又は公序良俗違反を理由とする不当利得返還請求や不法行為に基づく損害賠償請求等を、裁判上及び裁判外において、一切行わないことを約束する旨の念書(以下では「本件念書」といいます)を作成させました。
そして、亡Aが教会に行き、旧統一教会に対して本件念書を提出する際に、信者により、亡Aが信者からの質問に答えて、献金について返金手続をする意思がないことを肯定する様子がビデオ撮影されました。その約半年後、亡Aはアルツハイマー型認知症で成年後見相当との診断を受けています。
亡Aが提起した訴訟においては、献金の違法性を審理する前提として、本件念書により裁判所に訴えを提起しない不起訴合意を行っていることから、裁判所への訴えそのものが認められないのではないかが問題となりました。
<原審-訴え却下>
原審(東京高等裁判所)は、「本件念書の内容や作成経緯等を検討しても、本件不起訴合意が公序良俗に反し無効であるとはいえない。よって、本件不起訴合意に反して提起された……上記訴えは、権利保護の利益を欠き、不適法である。」と判示し、本件念書による不起訴合意の有効性を認め、亡Aによる裁判所への訴えそのものが認められない(訴え却下)と判断しました。
<最高裁-原審破棄差戻し>
最高裁判所は、下記のとおり判示し、本件不起訴合意は無効であるとし、勧誘の違法性については原審の審理が不十分であるとして審理の差戻しを行いました。
「特定の権利又は法律関係について裁判所に訴えを提起しないことを約する私人間の合意(以下「本件不起訴合意」という。)は、その効力を一律に否定すべきものではないが、裁判を受ける権利(憲法32条)を制約するものであることからすると、その有効性については慎重に判断すべきである。そして、不起訴合意は、それが公序良俗に反する場合には無効となるところ、この場合に当たるかどうかは、当事者の属性及び相互の関係、不起訴合意の経緯、趣旨及び目的、不起訴合意の対象となる権利又は法律関係の性質、当事者が被る不利益の程度その他諸般の事情を総合考慮して決すべきである。
これを本件についてみると、亡Aは、本件不起訴合意を締結した当時、86歳という高齢の単身者であり、その約半年後にはアルツハイマー型認知症により成年後見相当と診断されたものである。そして、亡Aは、被上告人家庭連合(=旧統一教会。以下同じ)の教理を学び始めてから上記の締結までの約10年間、その教理に従い、1億円を超える多額の献金を行い、多数回にわたり渡韓して先祖を解怨する儀式等に参加するなど、被上告人家庭連合の心理的な影響の下にあった。そうすると、亡Aは、被上告人家庭連合からの提案の利害得失を踏まえてその当否を冷静に判断することが困難な状態にあったというべきである。また、被上告人家庭連合の信者らは、亡Aが上告人(=亡Aの長女)に献金の事実を明かしたことを知った後に、本件念書の文案を作成し、公証人役場におけるその認証の手続にも同行し、その後、亡Aの意思を確認する様子をビデオ撮影するなどしており、本件不起訴合意は、終始、被上告人家庭連合の信者らの主導の下に締結されたものである。さらに、本件不起訴合意の内容は、亡Aがした1億円を超える多額の献金について、何らの見返りもなく無条件に不法行為に基づく損害賠償請求等に係る訴えを一切提起しないというものであり、本件勧誘行為による損害の回復の手段を封ずる結果を招くものであって、上記献金の額に照らせば、亡Aの被る不利益の程度は大きい。
以上によれば、本件不起訴合意は、亡Aがこれを締結するかどうかを合理的に判断することが困難な状態にあることを利用して、亡Aに対して一方的に大きな不利益を与えるものであったと認められる。したがって、本件不起訴合意は、公序良俗に反し、無効である。」
<コメント>
本判決は、不起訴合意の有効性に関する一般的な判断基準を示した点及び宗教団体と信者という特殊な人的関係を前提として、具体的事情の下で締結された不起訴合意が公序良俗に反して無効であると判断した点で非常に大きな意義のある判決といえます。
私人が誰とどのような契約を締結するかは原則として自由ですが、不起訴合意は、一定の事項に関する司法的救済の途を閉ざしてしまう点で、当事者に思いもよらない甚大な不利益を被らせる危険性があり、通常の契約と比べて、その有効性を慎重に判断すべきとする点は従前から議論されてきたところです。
本判決で特に注目すべき点は、通常は念書の有効性を担保する手段と評価されてもおかしくないビデオ撮影行為について、宗教団体の主導性、支配性を裏付ける事実として、念書の有効性を否定する方向に評価している点です。本件念書の作成・提出とビデオ撮影行為がなされる経過は、亡A側からみると極めて不合理かつ不自然であり、個別の事実を切り分けずに、長年にわたる事実経過全体を捉えて不起訴合意の有効性を否定した最高裁の判断は妥当だと思われます。