(東京高等裁判所令和2年6月8日判決)
1 生活保護法63条に基づく費用返還請求処分と後期高齢者医療制度の関係について
(1)生活保護を受けるには、原則として本人の申請が必要ですが、生活保護を必要とする人が生死にかかわるような差し迫った状況にあるときは、本人の申請を待たずに保護の実施機関は職権で保護を開始するものとされています(生活保護法25条)。
また、資力があるにもかかわらず、差し迫った状況にあることから生活保護を受けた場合は、保護の実施機関の定める額を、費用を支弁した自治体に返還しなければならないものとしています(同法63条)。
そして、厚生労働省保護課長通知(以下「平成24年課長通知」といいます)において、返還に際しては、原則全額を返還対象としつつ、それにより生活保護を受けた人の世帯の生活や自立が著しく阻害されると認められる場合には、所定の額を返還額から控除して差し支えないとされています。
(2)他方、生活保護を受けている人の医療費は、全額が生活保護により賄われることが予定されており、後期高齢者医療等の健康保険制度の被保険者から除外されています。
そのため、資力の活用が可能となって保護費の全額の返還を求められた場合、保護を受けず健康保険制度の被保険者にとどまった場合には後期高齢者医療によって賄われたはずの部分についても被保護者の負担になる状態となっていました。
2 事案の概要
本件において、Zは、年金収入等もあり資力を有していましたが、重度の認知症のため預金等の払い戻しができないなど資産を現実に活用することができない状況でした。
そこで、Y区長から保護の決定及び実施に関する権限の委任を受けた福祉事務所長は、職権でZに対する生活保護の開始を決定し、7か月間の間に保護費586万4070円(うち医療扶助費489万7724円、医療費10割負担)を支給しました。
一方で、Y区の担当職員はZについて成年後見の申立の手続きを進めており、Y区長の申立てによりZについて後見開始の審判がされました。
その後、福祉事務所長は、Zが資力を有するものであったとして、給付した保護費全額の返還を求める決定(以下、「本件返還決定」といいます)をしました。
死亡したZの相続人であるXらは、Zは後期高齢者医療の被保険者として医療を受けた場合の自己負担分(医療費1割負担約50万円で、残りの約440万円は健康保険から支払われる)の出費しか免れていないことから、保護費全額の返還を求める決定には裁量権の範囲を逸脱した違法があると主張し、その取り消しを求めて訴えを提起しました。
原審は、保護費の返還額の減額ができるのは、平成24年課長通知の定める場合に限られるものであり、Zに対して保護費全額の返還を求めても裁量違反はないとして、Xらの請求を棄却(Xら敗訴)しました。
3 東京高裁の判断
東京高裁は、以下の理由から、本件返還決定を取り消しました(Xら勝訴)。
【理由】
①保護費の返還額の減額ができるのは、平成24年課長通知の定める場合に限られない。
②実質的に不利益を課す処分となりうる保護を行う場合には、保護を受ける相手方に、保護を受けた場合の不利益の内容を説明して十分な理解が得られることが不可欠の前提である。
③本件においては、Zに対する保護決定に際して、給付される医療扶助について将来その全額の返還を求められ、著しい経済的不利益を被ることになるのに、少なくともZの理解を得ないままに職権で保護の決定が行われた結果、Zの意思とは関係なく、何らの予告もなく著しい不利益を課されることになった。
④生活保護法の運用にあたっても、社会保障制度全体の中でその運用を考えるべきであり、返還決定が後期高齢者医療の被保険者であれば負担を要しなかった範囲の保護費の返還を求めている部分については裁量権の範囲を逸脱した違法がある。
⑤なお、Zが支払っていなかった後期高齢者医療の保険料についてもZが本来自己負担分として負担すべき金額として、返還する費用額算定にあたって考慮すべきである。